短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
『人間のこと好きですか??』
改めてこう問われたとして、どう感じますか??
意識して好き嫌いを決める機会はあったでしょうか??
わたしの体験談をからめて書きたいと思います。
友達に書くことをすすめられた内容なので友達の話も出てきます。
まあまあ付き合いの長い友達とお花見していた時の話です。
お花見シーズン、人がたくさんあふれてました。
そんな中でふとわたしは友達に尋ねました。
「人間好き??」
尋ねた理由はいろいろありました。
お互いそれぞれ悩みを抱えてましたし、人生最高!と言えるようなポジティブな気分でもなかったです。
友達は不意打ちな質問にビックリしたそうです。
そしてその質問から友達は自身の意外な本音に気付いたそうです。
『あんま人間好きじゃないし、興味も薄い』
意識しないと意外と考える機会の無いテーマかもしれませんね。
好きか嫌いかを考える前に、毎日適応していかないといけないたくさんの人たちと生活してます。
そんな中で好きか嫌いかを気にしてる余裕も無い気がしますね。
友達曰く、人が好きじゃないという事実は意外な発見だったそうです。
そして、ちょっとしたスッキリに繋がったそうです。
日々のストレスや生きづらさの一面の根底を垣間見れた気がして良かったようです。
わたし自身が最近思うこととして、
人を嫌いだと感じる瞬間、自分の存在に羞恥心や罪悪感があると生じやすい気もしました。
なんせ、自分自身も『人間』ですから、人が嫌いなら自分自身も該当者になるわけです。
自分を好きになれなくて大きくくくって曖昧に人が嫌い!と感じることもあるのかな、と。
特定の人を嫌うのは少し緊張しますよね。
他人でも自分でも。
嫌いなものを明瞭にしない為にも、大きなくくりで『人が嫌い』になることもあるのかな、と考えました。
もちろん、人間という存在の嫌な面・悪い面を直視してしまったときに感じる嫌悪感もあると思います。
それが全てでなくても自分の見た目一面は自分にとってのすべてになったりしますもんね。
日常の中で『人が嫌い』と感じる瞬間について、
①自分を好きになれない理由がある可能性
②日常(社会)に不満を感じてる可能性
③嫌な場面を見てしまった可能性
などいろいろあると思います。
①についての気付きはわりと重要な気がしてます。
自己分析は生きやすさのヒントになりますから。
②については疲労の蓄積に配慮が必要かもしれませんね。
自分のキャパシティと日常のバランスを見つけ保つことは難しいので重要な課題になりますね。
③については、不安が膨らむ傾向がある気がするので、日常に集中してあまり意識しないようにするくらいしか思い浮かびませんね。
いろんな理由でいろんな感情がわきますが、その都度自分を見つめ直すきっかけの1つとしてうまく活用できるといいなぁと思います。
わたし個人の感じた内容にはなりますが、何か参考になる部分があれば嬉しいです。