短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
自分を受け入れる上で難しい課題はたくさんあります。
今回は自己評価と他者評価のギャップについてと自己評価の基準に迷走してしまうことについて書いてみます。
このテーマについて書きたい気持ちが強いです。
なぜならわたし自身がよく悩むからです。
具体的にするためにわたしについて話してみます。
わたしは自己評価が低いようです。
自己評価が下がった原因の心当たりとして、
①苦手分野の影響で自分の悪い部分しか見えなくなった
②謙虚さが大事という思いが歪んでいった
③自分がダメなやつだから苦しいのも我慢が必要なのも仕方ないんだ…と納得するため
こちらの3つが浮かびました。
①についてはわりと共感いただけるんじゃないかな?と思います。
ただ、客観的に考えると非常にもったいないことがわかります。
1つ何かに劣等感を持っただけで、全てにおいて自信を失うなんて極端な話なのにあるあるな面があると思います。
その苦手分野が日常に必要で困ってしまう場合、劣等感が加速してしまう気がしますね。
日常に身を置く環境を変えることがベターかもしれませんね。
苦手なことばかりに直面していると、他者評価も下がりますしもちろん自己評価も急降下しますよね。
でも他者評価なんて一定の基準下における一個人の価値観に基づいた無責任なものなんですよね。
よって、苦手分野から自己評価を下げる必要は無く、ただ苦手なこともあるよね〜と自己理解として受け止めれば良い話なんですよね。
②についてもまあまあ共感いただけるんじゃないかな?と。
自分が少し得意に感じたことについても、傲慢にならないようにと一旦ブレーキをかけて、そのまま自分の至らない点や落ち度を探して、やっぱ自分なんてダメなやつだ…という結論に至る。
ブレーキのかけ方に気をつけなきゃなようですね。
謙虚さと卑屈さは違うことを理解したくなる話です。
③についてはだいぶ偏屈になってるかもしれません。
気持ちに蓋をするべき理由として、自分のダメさを自分に言い聞かせて飲み込む。
とても不健康な我慢ですよね。
我慢するときはもう少し生産的な理由を見つけて我慢したいものですね。
たとえば、相手の機嫌を守ってあげてるんだ〜くらい強気な姿勢を内心に待ってるくらいの方がストレスコントロールがうまくいく気がしますね。
自己評価の基準を自分で決めれてないから自己評価に迷走するのだとしみじみ思います。
①の説明のときも言いましたが、他者評価は時と場合により変化する無責任さを伴うものです。
自分で基準を定めきれないままの自己評価や不安的な他者評価によって、自分の価値を決めつけてしまうなんて危ういです。
人の価値なんて良くも悪くも特に無いですし大いにあります。
人に優劣をつけたり価値を決めたりすることは、ケースバイケースで必要になるのかもしれませんが、基本的に考えなくていいことだと思います。
自分の日常の平和を守るために、自分を知り相手を知り、穏やかな暮らしを目指せればいいなぁと思います。
あくまでわたしの価値観の話になりますが、参考になる部分があれば嬉しいです。