短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
人に優しくしたいしされたいわたしが、優しさについて掘り下げて書いてみます。
優しさの表現の選び方は難しいこともあります。
優しくするということは気遣いの一種ですよね。
優しくする気遣いとは各々の価値基準をもとに行うことです。
自分が相手に優しくしたつもりでも相手は喜ばないこともあります。
そんなとき、どう思いますかね?
ちょっと寂しいような、期待を裏切られたような気分になるかもしれませんね。
でも受け手の気持ちをこちらが決定する権利はありませんね。
つまり、相手の受け取り方はいろいろあって仕方ないのですよね。
だからこそ、自分が相手に優しくしたい動機・原動力に注目するのが良いと考えます。
たとえばとしてわたしの価値観について書いてみます。
わたしは人に優しくすることは自分のエゴだと考えています。
表現が少しきつくなってしまったのでかみくだいて書いていきます。
相手に優しくしたいのは…、
〇相手に喜んでほしいという自分の願いに基づいている
〇相手の機嫌を維持したいという自分の要望に基づいている
〇ちょっとした評価・見返りを求めた打算がある場合
言葉にすると少しきつい表現になる部分もありますが、意識的でなくとも自然と意図が隠れていると思います。
こういった気持ちを込めていることを考慮すると、利己的・エゴとして解釈できる可能性を感じます。
優しさについて、利他的なイメージのほうが浸透している気もしますし、実際にそうなのかもしれません。
でもわたしは自分の優しさという価値観を相手に押し付けないために、自分のエゴに基づく気遣いであると心で処理しております。
利己的なのか利他的なのかについてを問題にしたいわけではなく、自分の意思でアクションを選ぶことが重要かな、と考えます。
自分で決めたアクションに対して、こんなはずじゃなかったという後悔を感じることは大なり小なりあります。
不満・ストレスの蓄積を感じるのならば、自分のモチベーションを振り返ってみて、その瞬間の自分に適した選択を見つけられると理想的かと思います。
自分のためでも相手のためでもなんにしても、優しくしたいという想いは尊いと感じます。
だからこそ、せっかく優しくしたいという温かな想いであったものが、ストレスにより歪んでいってしまうことは回避してほしいと思います。
わたし個人の考え方ですので、参考程度に読んでいただけるとありがたいです。
どこか参考になる・共感できる部分があれば嬉しいです。
こちらの記事もお時間に余裕ありましたらよろしくお願いいたします。