他者評価を気にしすぎてしまうことについて考えて書いてみます。
毎日のなにげない選択も自分で選んでいるのに周りの目を気にしている要素がたくさん隠れていると思います。
そういったことに窮屈さを感じたとき、発想を転換して気楽になれればと考えてみます。
毎日の暮らしの中でなにげなく選んでいるものがたくさんありますね。
そういった当たり前に選べる習慣もはじまりにはきっと何かあったのだと気づくことができます。
たとえば、ファッションについて考えてみます。
朝の身支度において着替えたりメイクをしたりしますよね。
洋服のテイストは個人の好みなどで自然と定まっていきますよね。
では、毎日のテイストを決めるポイントはなんでしょうか?
わたしの場合の話をしてみます。
洋服を選ぶとき、その日のスケジュールを意識して選びます。
クローゼットの中について、
無難さを意識して買ったものが多く、モノトーンカラーが増えています。
そしてデザインが似通った服もちらほらあります。
(好みの傾向が決まっていることと冒険心が低い自分の性格が影響しています。)
まずここで一つ、
洋服を購入する際、無難さを意識して選んでいました。
無難さ・・・、
つまり洋服を購入する際、すでに日常の中で周りと協調することを前提に選んでいることがうかがえます。
毎日身に着けるものではありますが、好みよりも無難さを意識しての用意がありました。
毎日の暮らしの中でなにげなく選択するたくさんのことがありますが、たくさんの先入観や慣習がひそんでいますね。
多種多様な価値観・慣習・文化がありますよね。
でもおおよその常識のようなものは強く根付いていますよね。
人とのコミュニケーションの中で多岐にわたる課題が広がっていますね。
こういったものとの向き合い方もまた様々だと思います。
気にしすぎてしまうタイプだとなかなかに疲労が蓄積されると考えます。
わたし自身、疲弊する時期がありました。
TPO(時・場所・場面)を気にかけた振る舞いをしようと常日頃悩むことは少なくないと思います。
意識的にではなくとも、協調性を意識すると自然にそうなっていると考えます。
無意識にストレス控えめでこなせると、日常が軽やかになる気がしますね。
毎日ちりつもで溜まる疲労を減らすためにも、こういった無意識の中で細々悩んでしまっていそうな内容と事前に向き合っておくと気楽になれる部分もあるのかな、と考えます。
好きや楽を基準に選ぶよりも、協調性を優先する選択が人生には多くあるように感じますね。
休日や余暇の過ごし方さえ、『こうあるべきだ』と追い立てるようにメディアやSNSなどから刺激を受ける状況があるように感じてしまう日もあります。
これは、情報を有効利用しているというよりも振り回される要素になっているからだと考えます。
日常の悩みについてもSNSなどからいろんな情報を探し活用する機会が多いと思います。
それはささやかな選択の繰り返しの中にも少しずつ影響を与え続け、人生の支柱にまで食い込む強さを感じます。
こうやって書いてみると、日々の暮らしで無意識的にこなす協調性の中には2つのテーマを感じた気がします。
◎社会生活の中で必要になる協調性の匙加減
◎協調性維持の為の情報ルートの不確定要素の有無
曖昧な要素の多い情報から日常に必要な自分なりのスタイルを人は模索して生きているのだと改めて感じます。
なにげない選択の習慣も人は少しずつ成長しながら身につけているのだと考える。
そうすると他者評価を気にする習慣や加減も人生の中で自分に合った形を模索していくものだとわかる気がします。
毎日周りを気にしすぎて疲れているように感じた場合、一度立ち止まることも必要なのかな、と。
まだ道半ば、そして流動的な価値観が多く不確かな基準があふれている。
こう考えると、気にすることに対する過不足がわかりやすくなる気がしました。
つまり、正解の無いことで悩み過ぎたくないですね!!
自分のための人生の中でどれくらい何を気にすればいいのか、周りと比較しすぎることなく自分にちょうど良い度合いを見つけたいものですね。
そのうちこのちょうど良さの探し方を具体的に書いてみたいです。
少しでも励みになる部分があれば幸いです。
ありがとうございました。
頑張りって目に見えないけれど、いろんながんばりがあふれてる。
よければどうぞ。