承認欲求(人に認められたいという感覚)があることは当たり前なのに後ろ向きな印象もある言葉です。
度合いによっては不健全さがあるかもしれませんね。
健康的なバランスについて考えてみます。
何かを頑張ったら成果に対してのリアクションがほしくなったりしますよね。
もちろん自己完結するものも多いと思います。
成果を義務的に求められるものについてでさえ、モチベーション維持のためある程度の評価はポジティブな影響があるように見受けます。
とはいえ成果に報酬が発生する場合、必要性が明確なので比較的迷うことなく行えると思います。
では、義務のないアクションについてはどうでしょうか?
他者のリアクションが欲しくなるタイミングについて考えてみます。
自己評価しづらかったり出来なかったりしたとき、他者評価に依存したくなりその先に承認欲求が発生すると考えます。
悩みを人に相談したくなる時だって、自分の考えに自信が持てず背中を押してもらいたいときがありますよね。
他者のリアクションが欲しいときというものは、自信・自己肯定感が大きく影響していると考えました。
趣味があっても人に言い出しづらかったり、趣味として挑戦しようとしても特技になるほどでないのならばと控えてしまうこともある気がします。
それは成果の有無によって評価が下る印象が広まっているということでしょうか。
お金は成果報酬で稼げるものですね。
仕事は会社が収益の出る循環を維持してくれているから、業務をこなすことで成果を得てお金を稼ぐことができますね。
お金がたくさんある方が豊かさが増すイメージはわきやすいと思います。
もちろんお金が人生の全てではないのですが、生活を維持するために必要不可欠なものなので、心の中に強く居座ってますよね。
そうすると成果報酬のあるものに価値が強い印象が広がっていく気がしませんか?
実際のところ、特技を収益化する人たちが増えるにつれて趣味として楽しんでいることについてさえスキルの高低が気になってしまう瞬間が増えた気がします。
心を豊かにするための楽しみに対して、生活を豊かにするためのお金に関することが心を乱したりすると思います。
心の豊かさは物質的なものだけでなく、精神的なものも重要ですよね。
そもそも物質的なものが精神的支えになることも多いですよね。
生活を維持するために物質的豊かさが必要であり、そうすると安心して生活が送りやすくなりますね。
その中でさらに精神的豊かさ・心のゆとりを求めますよね。
成果報酬の有無にかかわらず、喜びを感じることはたくさんあるはずなのにそれが薄まる瞬間が増えたように感じたのです。
無意識に成果報酬が思考回路の前提に埋められているような不健全さを感じたのです。
実質的に必要な面があるので否定的になるのも微妙な話ですが、承認欲求に不健全な印象が広がっている場合こういった仕組みじゃないかな?と考えたとき、寂しくなりました。
数値化や目に見える評価に依存しつつある評価というものが、心の健康に与える悪い影響は少しずつ大きくなる気がしてます。
実際わたし自身も趣味に対する意識に影響する日もあります。
楽しむだけでいいものに対して数値化が必要とされるような評価を求めることなく、楽しみやすい雰囲気が広まってくれたら幸福感が増すんじゃないかな?と空想する今日この頃です。
人に認めてもらいたい気持ちは当たり前ですが、人に認めてもらわないと数値化された評価に繋がらないことからメンタルに影響するのは悲しいな、と思います。
自己分析や自己肯定感が重要になる背景に、数値化できる評価への依存が関係していると考えました。
自己評価が難しいとき、他者評価を求めますね。
信頼できる人たちの一言で満たされるのならばいいのですが、それでも心もとない場合、多数の評価を必要としているあるいは自己肯定感が揺らいでいる可能性を考えます。
多数派の意見が強い世の中なので当たり前な発想かもしれませんが、世界は広いので数字にこだわると難しい現実に直面することも多いと考えます。
自己肯定感が低いとき、数値化された評価のわかりやすさに魅力を感じるのかもしれません。
自分の好きなものに対して苦手意識の芽生えるようなことが無いといいなと思いました。
評価社会への不安を書きました。
システム上必要なことがたくさんあるだろうし簡単な問題ではないでしょうが、ひとりひとりの意識次第でほっこりが増える可能性も感じた…という夢見がちな感じですが、楽しいこと・豊かな暮らしが増えるといいな~と思いました。
何か参考になる部分があれば幸いです。
拙い文章を読んでくださりありがとうございました。