短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
人への関心・社会への関心が将来の見通しを立てる能力に繋がっているという可能性に気づかされるきっかけがあったため、わたしなりに掘り下げて書いてみます。
わたし自身の経験・感覚を基に書いていきます。
対人関係や評価されることへの苦手意識をの増加は人や社会への興味を低下させ、自分の殻にこもった思考傾向を強めるように思います。
幼少期から義務教育への備えを始め、学校という集団生活を送ることが当たり前とされています。
人と関わることを学び、評価されることを経験し、成果を数値化されたりします。
生きるために稼ぐ上で、評価・成果は切り離せない世界です。
人と関わることも評価されることも生きる上で回避の難しいものであり、適応していくことが求められていると言えます。
でもそれらを苦手とする人も少なくないと思います。
すくなくともともわたしは人と関わること・評価されることに苦手意識があります。
苦手に感じたことから目を背けたくなるのは人として自然だと思います。
ただ、それが人生にどれくらいの影響を与えるかについてまで考えが及ぶことは多くない気がしました。
対人スキルを磨く機会を減らし、評価されるプレッシャーを回避するアクションを続ければ、社会適応能力が低下するのは自然な流れだと考えます。
具体的なたとえを出すと、
〇友達付き合いを減らす
〇勉強をサボる
こういった選択は自由なもので、悪いことではないです。
ただ将来について考慮する場合、なんの対策も講じずにこういった自由を選ぶことはリスクになると考えます。
気質・性格・能力に合わせて、身の振る舞いをコントロールすることは重要です。
ですが、未来への影響を現実的に考慮し、合理性のある選択肢を視野に増やすべきと感じます。
苦手を理由に回避することは正しいと同時にバランスを考慮したアイディアを探す必要性が出てくると考えます。
たとえば、人と関わることを避けて良いとしても人の多様性を意識することや自己理解に努めることを避ける理由にはならないと考えます。
勉強しないことによって自分の評価がハッキリすることを回避できているようで、結局いつかしわ寄せがくることに気づいた方が良いと考えます。
日々さまざまな思いを抱えながら人は選択を繰り返し生きていきます。
常に最善を選ぶことは難しいでしょう。
でも少しでも考える余地を感じられたならば、苦手の回避が将来にどんな影響を与えるかどうか想像するのも重要だと考えました。
苦手を克服しようという話ではなく、苦手と距離を保ち健康を守りながら別のアプローチを模索する意識が必要な場合が多いと感じました。
いろんな人と気楽にコミュニケーションをとれる人たちや、高評価を目指し勉学等に励める人たちのほうが、自然と将来設計へと繋がる情報を取得しやすいように感じたため書きました。
あくまで個人的な感想ですが、参考になる部分があれば嬉しいです。