無意識に感じてしまう劣等感の一部について考えてみます。
ネガティブな気分の時にあまり感じたくないこと…
「できない!」
「無理だ!」
そういった無力感ってありますよね?
「できない」ことがあっても当たり前なのに、無能感や劣等感に苦しんだりすることもあると思います。
そもそも人には得意と苦手があるのに、
状況によって「できた方が良い」ことがあるのがややこしいですね。
学校ならばある程度勉強はできた方が過ごしやすいのかもしれません。
職場でも任された業務をこなせないと困りますね。
家の中でも家事が苦手だと必要以上に疲れますね。
日常的に苦手なことに直面し続けたら精神的負荷が増えますよね。
本当は自分で環境を選び取ることができれば幸いなのですが、まず自分に合った環境がどんなものなのか具体的にパッとは浮かびませんし、その場にすぐ落ち着くこともできません。
自分をよく理解しなければ、自分に合った環境を具体的に想像することはできません。
具体的に想像したとしても現実に実現可能な場を探すことも簡単ではありません。
自己理解を深めておけば、苦手分野において周りのサポートを受けやすい気もします。
「適材適所」と思えるような落としどころが見つかると嬉しいですね。
自分に強みがあったとしても、突出した才能ではなかったり、お金を稼ぐことに直結しない内容であるとなんとなく意気消沈してしまいそうな風潮があるような気がします。
自分の個性・強み・特色・性質・能力…、
どんなものであっても素敵なものであるはずです。
でも現実的に役立たないと、自分の中にある魅力を魅力的に思えなかったりするような気がします。
それって悲しいことだと思います。
「芯を強くもつこと」と「偏屈・頑固さ」の境界が難しいように、強みや個性の受け入れは難しいように思います。
シンプルに好きだと感じることをのびのび楽しめる人生が理想ですね。
強みは自分の人生を豊かにするためのものであってほしいです。
他人と比較して優劣を比較して一喜一憂するようなものにはしたくないですね。
出来ないことへの罪悪感・劣等感より、出来ることの楽しさが勝ってくれるようなバランスに調整して生きていきたいものです。
理想と現実にはギャップがあり、言うほど簡単にコントロールできませんよね。
難しくても理想を心のどこかに置いておければ、いつか実現できるかもしれないとも思います。
きれいごとを書いているようで苦しくなる時もありますが、世の中の当たり前の温かさが増せばいいなあと夢見て書きます。