短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
自分の好き嫌いについて考える機会はありますか?
わたしは好き嫌いがハッキリしている自負があるのにもかかわらず、個々人との付き合いにおいて嫌いや苦手を自覚することがとても苦手です。
●相手にモヤっとしたとの思考のプロセスをざっくり書きます。
①相手の意図を考える
②相手の人柄を考慮する
③相手の事情を考慮する
④自分の価値観を見直す
この4つを経るとたいていのことは許してしまいます。
ただ未消化になってしまった感情の行き場が無くストレスとして蓄積されがちです。
古い付き合いの友達との会話で教わったことがあります。
「人ってもっと直感的に好き嫌いを判断すると思うんだけど。」
とのことでした。
わたしにとっては目から鱗な話でした。
わたしが直感で人の好き嫌いを判断することを想像してみました。
おそらく嫌悪感抱く瞬間はまあまああると思いました。
ただ、すべてを好ましく感じさせてくれる相手なんているのかな?と考えてしまいます。
100%自分の理想を相手に求めることは難しくそして自己中心的な思考に寄ると思ってしまいます。
ここで気づくことがあります。
嫌悪感を自覚したとして、それに深追いすることなく流してしまえれば一時的な問題でとなり、100%を求めない関係が成立します。
そして嫌悪感を上回る好感がある人と付き合いを継続し、嫌悪感が上回るようなら距離を置けばいい、シンプルな話にも感じました。
わたしは、相手の事情や性格や経験を考慮し、可能な限り相手の気持ちに寄り添いたいと無意識に動いてました。
ですが、自分が感じた不快感を否定してまで相手に寄り添う必要は無いのではないか?という考えにも至りました。
嫌悪感を抱いても相手を許すことはできます。
嫌悪感を否定して相手を肯定しようとするからストレスが蓄積されてしまうのだと気づきました。
好き嫌いなど、何を感じるかは個々人の自由です。
思ったままに行動を起こせば摩擦や誤解が増し、デメリットは多いです。
でも感じた気持ちを打ち消して行動に感情を合わせようとすることは不自然にも感じますね。
自分に素直になるって難しいのだなあと、しみじみ思います。
わりと芯があるという自負があるのですが、メンタルは豆腐過ぎて、流されないものの無意識に我慢が増えてしまう自分に戸惑います。
誰だって我慢する機会は多いと思います。
ただ、何を我慢しているのかを具体的に把握できるかどうかって微妙なラインにあるんじゃないかな?と考えました。
必要を感じて我慢をしているから、我慢は自分の中で正当化されており、嫌でも実行する習慣が身についていきます。
でもふと振り返って考えてみると、本当に必要な我慢だったのか、グレーな要素も多い気がしました。
我慢を選ぶにしても、「我慢してやってるんだぞ!」という少し強気な姿勢を持つこともときには必要な気がしました。
不快感を我慢してやり過ごすのはベターであったとしても不快感を飲み込むのはあまり良くない習慣だと考えました。
生活の質を向上させるためにもストレスコントロールは重要だと思います。
わたし個人の考え方にはなりますが、どなたかにとって何か参考になる部分があれば嬉しいです。