日常的に感謝の念を忘れないようにと心掛けておりますが、それに疲れる日もあります。
その心境について言語化してみます。
最近少し体調を崩し、家族にとても迷惑をかけました。
その時感じたありがたみとすれ違いによる悲しさをピックアップしてみます。
わたしは1カ月ほど前に原因のわからない神経痛に苦しみました。
病院で診てもらってもわからないもので、様子をみるしかない状況が不安でたまらなかったです。
そのため、心配して気遣ってくれる家族にも優しくできずとても苦しみました。
夫は夫なりに気遣ってくれているのをわかりつつも、その善意に応えきれず苦しかったです。
優しくしてもらっているのにも関わらず、感情的になってしまう自分が嫌でした。
結局は夫婦で話し合い、お互い必要以上に関わらないという気遣いに至りました。
大変申し訳ないけれど、自分のことで手一杯の時に他人の気持ちにまで配慮することは難しいと改めて痛感しました。
自分自身の心のゆとりを守ることは、日常のささやかなありがたみに気づくためにも必須であるとよくわかりました。
当たり前の基準により、ありがたみの基準も変わるとは思います。
つまり、心の余裕が当たり前の基準に影響すると考えられますね。
普段ありがたく感じられることが、苦しくなるのならば、それは無意識の中にある心の悲鳴に気づくべきと考えます。
人の善意に喜べなかったとしても、必要以上に自分を責めないでほしいと思います。
ただ、その瞬間の自分の心の声に耳を傾け、優しく甘やかしましょう。
美味しいお茶を飲むでも、チョコレートを食べるでも、運動するでも、趣味を楽しむでも、眠るのも良いですね。
頭が疲れているときは無理せず眠ることがおすすめです。
でも時間を勿体なく感じるのならば、好きなことをして癒されるのも合理的かもしれませんね。
毎日、社会生活に追われなかなか休まる暇のない人が多いとは思います。
でも何か参考になる部分があれば幸いです。
今日もありがとうございました。