短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
せっかく褒めてもらえたのに、素直に喜べないことに悩んでます。
それについて掘り下げて考えてみます。
褒めるとは評価の一種だと思います。
評価をするにあたって、人それぞれの基準を持っていると気づきました。
わたしが素直に受け取れないとき自分の心にある思いとして、
『そんなにすごくないから、お世辞を言ってくれているのだろう』
このように解釈しがちです。
素直に高評価を受け取ることは『傲慢な勘違い女になってしまうんじゃないか?』くらいの不安を抱えています。
さらりと「ありがとう」と受け取れる人に憧れますが、自分がそれをしてしまうのは似合わない気がしてしまっています。
とある友達からの指摘のおかげで気づけたのですが、得意や苦手は人それぞれであり、価値を見出すポイントも人それぞれです。
つまり、高評価を感じるポイントも人それぞれになってきます。
自分にとっては大したことのないことが誰かにとっては価値を感じる場合もあるということです。
褒め言葉に謙遜として内容を否定しすぎてしまうことは、相手の価値基準を否定することに繋がるのだと気づきました。
たとえば、ミシンでポーチを作ったとします。
自分なりにはまだまだ改善の余地を痛感する仕上がりであったとします。
ミシンでポーチを作る機会の無かった人にとっては、縫えること自体をすごいと感じるかもしれません。
「ポーチが作れるなんてすごい!」
これに対して
「全然うまく作れなくて…」
と返したとします。
経験の有無で着眼点が変わる部分もあると思います。
未経験の立場からすれば、『作れてるじゃん?』と感じるかもしれません。
作った本人にとっては不満が残っていても、褒めてくれた相手にとってはすごさを感じられることであったわけです。
この相手の素直な気持ちを否定してしまうのは不快感を招く部分があると思います。
褒めてもらえたのならば、自分の感想は置いておいて、相手の感想に耳を傾け、素直にありがとうを伝えることが先決なのだと思いました。
相手の評価に振り回されるのも良くないですが、相手の評価を素直に受けとることも大切だと考えました。
もちろん社交辞令の場合もありますし、返答については臨機応変さが重要になります。
でもある程度仲の良い関係性を築けている相手に対しては、相手の言葉を信じて喜んでいいんじゃないかな?と思いました。
子どもの頃の環境から影響を受け、それなりに固定化された価値基準を埋め込まれて大人になると考えます。
大人になってからもアップデートしながら人生最後まで楽しみたいな~とふと思いました。
わたしの経験に基づいた感想・考え方です。
なにか参考になる部分があれば嬉しいです。