短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
若い頃、くるくる思考の渦に迷い込みがちでした。
その頃は目の前の大切なことを見逃していたような気持ちにもなりますし、あの頃いっぱいいっぱいまで考えたから今の自分がいるという気持ちにもなります。
1つ考えてみます。
考えること・想像することにより、曖昧な失敗経験の繰り返しを回避できるんじゃないかな?と思います。
内容は違くても、失敗した経験を繰り返すとすれば、何か思考や行動に癖があるんだろうと気づきます。
そしてその癖が悪いわけではなく、ただ見直して改善の余地があるという話になります。
習慣が身につくにはいろんな理由があると思います。
良いか悪いかだなんてわかりません。
ただ、結果が自分にとって良いと感じられるものなのかどうかは重要だと考えます。
今現在、良い気分でないのならば、何か改善可能な部分を秘めているかもしれないとポジティブになれたらいいのかな、と。
つい自分の至らなさとして悪い部分を直そうという発想になりがちな気がして悲しくなります。
善悪って視点によって変わりますもんね。
もちろん自己中心的に振る舞っていい免罪符にしてほしくはありませんが。
思考をめぐらすことを良しとした話を書きましたが、歳を重ねながら今感じることとしては逆です。
あまり失敗を反省し過ぎないで、これから何ならできるのか…可能性が開ける道を目指したいと思います。
もちろん反省することも未来の見通しを良くする為の作業ではありますが、結構過去の記憶という迷宮に迷い込み、そのまま時間ばかりが流れてしまうことも少なくないと思います。
過去から必要な教訓だけを抽出できるのであれば良いのですが、苦々しい想いなどを引きずることもあると思います。
苦しみから自分を見失いそうになるくらいなら、いっそあまり過去を振り返らず、無意識の学びに期待し今の自分を信じてさきをみすえて進む力も必要になるかな、と。
苦しいのならば、きっと学びがある。
未消化で納得いかないものに再度遭遇すれば、きっと一度立ち止まって考えられます。
2度目の遭遇は無い苦難もあると思います。
嫌な記憶・経験から自分の傷を癒すにも限界を感じます。
学びも必要な部分はありますが、今と未来を過去より穏やかに過ごして、少しずつ回復を繰り返せば、10年後・20年後の自分は今の自分には想像できないほど穏やかに暮らしてるかも…と想像したりします。
すくなくとも10年前のわたしは、今こんなに穏やかで幸福感のある生活を送る未来を想像したことはありませんでした。
●考え過ぎて身動き取れない
●考え無しに走った
若い頃強かった傾向です。
20代半ばあたりから、未来を計画的に見据えてその瞬間を必死に生きるようになりました。
◯考える習慣があった
◯アクションには結果がついてくる
これらを若い頃、失敗経験ばかりとはいえ実感できていたことは大きい意味があったかもしれません。
正解は無いし、幸せの基準も難しいです。
とりあえず何かの判断材料のひとつになれればなぁ、という綺麗事を抱えてちょこちょこブログを書き続けたいわけです。
何か参考になる部分があれば嬉しいです。