短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
いつの間にか人や世界に怯えるようになってしまった経験を振り返ってみます。
小学生高学年くらいからかな、人に共感しづらいと感じる機会が増えていたような気がします。
それでもなんとか卒業して中学に入学した先で、部活内の人間関係・パワーバランスという壁にぶつかりました。
新しい環境に加えて初めてのストレス負荷増量、毎日必死でした。
ストレス負荷が増し、年頃の気難しさも影響したのか、怖いニュースや歴史で学ぶ怖い事件たちを思い起こしまい、
『人間って恐ろしい』
そう頭に刷り込んでいった気がします。
人が恐ろしいと頭に刷り込み始めたわたしは、クラスで起きる意地悪な事件などを見聞きする度にその思いを加速させていきました。
もちろんテレビのニュースも歴史の勉強も苦手で、人間不信を加速させました。
その頃のわたしはまだ人にうまく相談する術を知らなかったので、1人で思い詰めていきました。
衣食住があって学校に通えるのに、生活に文句をつけるなんて身の程知らずだ…と自分に刷り込んでました。
こうしてわたしは人間不信なまま学生生活を終えてしまいました。
今振り返ってとても後悔していることがあります。
もっと目の前の人たちを信じてコミュニケーションを楽しむべきだった。
もっと将来を意識してその都度目標をみすえて努力すべきだった。
まぁ人生に後悔は付き物ではありますが、もう少し建設的な努力をしたかったなぁ、としみじみ思います。
特に体力作りを怠ったことに後悔してます。
人が苦手になってしまい、比較的部屋に籠る時間が多かったせいか、今もスタミナの低さに悩まされてます。
そして、目の前にいない曖昧なイメージばかりに恐れを抱き、目の前の課題や人たちを見ることができなかったことは本当に勿体なかったと感じてます。
勉強をもっと頑張れば良かった…もよくある後悔の一つですよね。
悩みって目の前に直面しているようで日常に直接的な影響の無いものもありますね。
最近でいえば、SNSをみて周りのキラキラと自分を比較して曖昧な基準のまま劣等感を持ったりするのと似ているかもしれません。
悩むには理由があるから悩んでいいわけです。
でもいつどう悩むかについては先の見通しを立ててうまく考えられたらいいな〜と考えました。
参考になる部分があれば嬉しいです。