短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
わたしは小中高大とあまり学校生活を楽しめない人生でした。
その頃の話も体験談として書いていこうと思います。
今回は翌朝を迎えることに怯えていた頃の話を語ります。
小学生の頃もいろいろ苦楽はありましたが、中学生になってから習慣化してしまった苦しい時間がありました。
寝る前の入浴の時間がその日が終わるのだと特に痛感しやすい時間でした。
「明日も学校に行かなくちゃ…」
「夜が明けなければいいのに…」
ネガティヴな気持ちが渦巻いてました。
でもそれを誰かに打ち明けるという発想は持っていませんでした。
ただ拳を握りしめ、心を無にしようと努めていた記憶があります。
なぜこんなにも思い詰めていたのか…、シンプルに言ってしまえば『周りに適応しようとし過ぎていた』のです。
過剰適応という言葉がありますね。
おそらくそれに近いと思われます。
ある程度適応出来ていた気もします。
でも完璧なる適応だなんてありえないわけで、人それぞれの基準をすべて気にかけることなど出来ないです。
それゆえに頭は混乱し常に疲弊しネガティヴ思考に支配されていったのだと今は思います。
直接的にいじめられなくても、仲間外れへの加担を強要されたり、周りからはみ出す勇気を持てず本意でない言動・行動の後罪悪感に苦しむことになったり。
仲間外れにされた子に親身になってみたら、仲直りしたのかアッサリ置いてきぼりをくらったり。
もちろんすべて自分の選択の結果なので、何が良いも悪いもないです。
それでも今少し思うこととして…、
自分に合った相談相手を見つけることが出来ていれば…と思ったりもします。
相談する習慣が無かったため、相談相手をさがすこともしなかったです。
たまに友人に何か話そうにもうまく相談できず流れてしまい、自己完結して苦しみばかりを蓄積しました。
もしかすると友人たちの中に良き相談相手を見つけることができたのかもしれない。
学校外部に視野を広げて探してみればよかったのかもしれない。
その為にも、1人で抱え込まず誰かに相談してみるという選択肢を知ることも重要だと知りました。
もちろん相談に失敗して余計に落ち込むこともあると思います。
そうするとどんどん話すことに臆病になり、余計に1人で抱え込んでいってしまいます。
1人で抱え込むことの大きなリスクとして、自分の思い込みが根強く育ってしまうことだと考えます。
SNSが普及した現代においてはアウトプットの場が増えましたが、必ずしも楽しい側面ばかりでもありませんよね。
誰から構わず相談を持ちかけるのはリスキーですが、少しずつお互いを知る機会があった相手に対しては困った時素直な気持ちを話しても大丈夫そうな人を探ってみて、1人で抱え込んでしまう習慣を回避することが健康への道だと考えます。
それが自然とできる人はいいんですが、意識してみても難しい人だっていると思います。
日々のプレッシャーを増やし過ぎない為に、1人で抱え込み過ぎないことがポイントかなと考えました。
当たり前のようで難しい課題です。
でも少しの意識で変わることもあると思うので、ひとまず体験を絡めて書いてみました。
参考になる部分があれば嬉しいです。