短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
子に対して、気にかけてあげたいこと・手を尽くしたいことはたくさんあると思います。
それらの内容と原動力について思うことがあるので書きます。
わたしの実感を例に書いてみます。
わたしの話になります。
今も昔もそこそこ親との関係は良好ですが、子供の頃は苦手意識が強く、今もイマイチ共感の機会は少ないです。
たとえば、悩んでる時わたしはまず苦しいことに共感してほしいタイプでしたが、親は「大丈夫よ!」と励ましてくれるタイプでした。
わたしとしては
『大丈夫じゃないから仕方なく弱音を吐いたのに大丈夫を突き返されたら苦しいし悲しい』
いつもそう感じてました。
それが理由でケンカしたこともあります。
でも親も良かれと思って言ってくれてるので平行線でした。
その頃は人それぞれ感覚も性格も歩み寄れない部分もあるとは知りませんでした。
話せばわかり合えると思い込んでいました。
でも無理な時もあると学びました。
感じ方や考え方は各個人の気質や経験値の積み重ねで多種多様であると思います。
親子であっても気質が同じとは限りませんし、親はすでに経験値を子より多く積んでるので、気質より経験値から形成された我の強さ?も大きいと思います。
親は子供の頃の自分を振り返り、親にしてもらいたかったことを参考に子に尽くそうとしたりしがちです。
でも子と自分は違う人間なので、自分の善意が必ずしも子にとって最良とは限らないのです。
わたしが子が悩んだ時、親身に共感して話を聞いてあげたとします。
わたしと同じように共感を求めそこに安心を見出して考え始められるタイプなら良いかもしれませんが、逆に「大丈夫!」と笑い飛ばしてもらった方がポジティブに頑張れるタイプかもしれません。
子への歩み寄りとは、
○自分の経験や学びを押し付けること
ではなく、
○子への理解に努め試行錯誤を繰り返すこと
だと思いました。
親の過去からの心の飢えを満たすことが直接的な子への愛情表現にふさわさしいとは限りません。
ただ、その心の飢えを感じていた自分を振り返ることによって、子にはどういった対応が必要でどういった気質・性格なのかな?と考えるきっかけになればいいと思います。
自分の過去の後悔や不満が原動力となり子に自分の望みを反映したアクションを実行しがちです。
でもそうする前に、一旦立ち止まり、これは自分の課題なのか子の課題なのか、慎重になる必要があると考えます。
子と暮らす中で、自分の良かれと思って…を押し付けたくないなぁと思う日々を過ごしてます。
そんな自分に言い聞かせるように書きました。
何かどなたかの参考になる部分もあれば嬉しいです。