短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
少し言葉の強い記事になってしまった気がしたので、追加記事を先に貼ります。
興味ありましたらよろしくお願いいたします。
期待するのが怖くなる。
裏切られて傷つくのが怖いから。
自然と身につきそうな感覚ですよね。
この感覚について考えてみたいと思います。
期待する気持ちって意外と自己中心的な動機が隠れてる気がしませんか??
期待するのって期待したいからですよね?
期待したい理由には自己都合が大きく影響してますよね。
期待を裏切られて困るのは、思った通りにことが進まなかったことによる不快感とも考えられますよね。
期待することは相手を信じようとすることだから素敵なことだと思います。
ただ、信じ方によっては依存心に近いような気がします。
信じたい理由がある。
信じるに値する見立てがある。
ある程度は自分自身の気持ちに基づいてのことだと考えます。
ならば、信じて期待した通りの結果が出なかったとしても裏切りでは無く見当が外れただけとも考えられませんか??
期待する勇気を失ってしまうというのは重過ぎる気がします。
期待の仕方を工夫してみよう!というのもありなんじゃないかな?と考えます。
期待したい原動力と向き合ってみたり、リスクヘッジを考えておくとか…。
たとえば、友達や恋人を信じてたのに裏切られた気持ちになる機会があったとします。
相手が自分の期待通りのリアクションをしなかったときにも裏切りを感じるかもしれません。
期待した・信じたのは自分の決断です。
決断に至る動機があったはずです。
○思った通りにことが進んでほしいという願いが込められていたのか
○いつも通りであるはずという無意識に自分の中に固定された考えがあるのか
など、何かしらの原動力があります。
期待するということは無意識の推論の結果なのか、願望がストレートに込められているのか難しいところですね。
傷つくのは辛いですし、期待することを楽しむ為にも、その都度期待したい動機について察しておくと少し気が楽になるかもしれませんね。
期待する・信じることはポジティブな感情のはずなのであまりネガティヴを引き起こす原因になってしまうともったいないと思い考えてみました。
なんとなく抱く感情にもいつだって何かしらの理由があると思います。
それを自覚するかしないかもポイントだと考えます。
逐一自分の感情と向き合っていたら疲れてしまう気もしますが、悩んだ時や落ち込んだ時には自分の感情の原動力と向き合って、気持ちの落とし所を見つけられると良いと思いました。
あくまで個人的な考えの1つです。
この考え方が正しいとも全てだとも思っておりません。
少しキツイ表現になってしまったかもしれないことが申し訳ないのですが、何か参考になる部分があれば嬉しいです。