短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
学校生活を振り返るといつも思うことがあります。
何もわからないまま日常をこなすことに追われて過ぎ去ってしまった…と。
学校生活を送るうちに知っておきたかったことを書いてみます。
わたしの経験や感じたことを基に話を進めます。
ただイジメの話が少しとはいえ出てきますので、苦手な方はご遠慮くださいませ。
わたしは学校に通うことがあまり好きではありませんでした。
小学校のうちは、そういうもんなんだろうと理由に深追いせず日々をこなしていました。
ただ中学にあがってからは、少しずつ学校に通うことや人という存在について疑念を抱くようになっていきました。
学校生活はほどほどに楽しかったです。
でも人の嫌な面を見ることも少なくなかったです。
自分の振る舞いや能力によって周囲の自分を見る目が変化することを覚えていきます。
そして仲間外れなどいじめに遭遇してしまいます。
自分自身はいじめられずに済んだとしても、被害者をうまくかばえない自分に罪悪感を抱きますし、自分に矛先が向くことを恐れながら自分の振る舞いにも緊張感を持ちます。
大なり小なりみんなこういった緊張感を持って生活を送っていると思います。
イジメについて、いろんな見解があると思います。
ここでは深く掘り下げることを控えますが、わたし個人の考え方として、悪意を持ってのアクションは良くないことだと考えてます。
そして悪意が無くとも誰かに迷惑をかけてしまう行為について、とても難しい問題だと感じます。
たとえば、わたしは小学生の頃いじめにあっていた経験があります。
自分がいじめられているときは、それがいじめだという理解が追い付かず、今もわからない部分があります。
ただ、周囲の生徒たちがいじめと判断してくれたおかげで先生たちが介入する事態となり、いじめは終わりました。
頻繁に泣かされましたし、なんでこんなことをされているんだろう?とわからないことだらけでした。
そのときに具体的にされたことを忘れることはできません。
辛かったからです。
でも先生の介入があってから、わたしをイジメていたメインの1人が言った内容が心に強く残っています。
「悪気は無かった。ストレスが溜まっていた。ただスッキリしたかった。」
そういった旨の内容を聞かされて、当時のわたしは思いました。
『いろんな事情があるんだなあ』と。
それで納得できる話ではないのですが、そういうものなのかあ、と当時は受け入れてしまいました。
ちなみにターゲットになってしまった理由も大したことなくて、『反応が面白かったから』と聞いてます。
ただ人生に付随するストレスに関心を持つきっかけにはなりました。
みんなそれぞれの苦しさがあって、表現がさまざまなんだなあ、と。
許せる問題ではないものの理解できないこともなく、ただ人って悲しいな~と頭がくるくるする日々がスタートした記憶があります。
こうしてわたしは目に見えない・正解が明確でないことにばかり関心を持ち、学校生活で学ぶべきことや将来への準備を怠ってしまいました。
勉強をすることひとつにしても、情報整理の方法・忍耐力・スタミナなどいろんな成果に繋がります。
将来を意識すれば興味の幅も広がり、備えることもできたかもしれません。
日常で感じたことを温めるのも大事ではありますが、大人になる備えは必要なんですよね。
なんとなく過ごしていてもうまく社会に適応していくことができる人もいるのかもしれません。
でもわたしには無理でした。
もっと自分自身の将来を意識した人生を考えるべきであったという後悔があります。
もちろんその都度、軌道修正して何とかなる面もあるかもしれません。
でもわたしが今感じる後悔は少なくないです。
もちろん現状に満足している面も多く、日々感謝の念を伝えていけるような生活にしたいとは思ってます。
後悔の無い人生は無いと思います。
でも選択肢の可能性が広い段階で、自分に合ったペースで情報を手に入れ、望む未来に向けて努力をサポートしてもらえる仕組みが増えればいいと思います。
わたし個人の感想ですが、なにか共感や参考になる部分があれば嬉しいです。