短い記事です。
気軽にお目通しいただけると嬉しいです。
以前、『期待する』をテーマに辛口な記事を書いていた自分にちょっとびっくりしています。
もう少し柔らかな表現ができたら…と書くことにしました。
ちなみにこちらが辛口な記事です。
お目通しいただいても、素通りしていただいても大丈夫です。
貼っておいてなんですが、とりあえず素通り推奨します。
期待する想いがあるから人は頑張れる側面もあると考えます。
理想があって、そこに届く予感のような感覚がある程度必要だと思います。
たとえばテストを控えているときの勉強のモチベーションって、
『努力が報われる予感・実感』が必要ですよね。
テストの点数が上がるであろう手ごたえや成果へのメリットの把握などが自分のなかでハッキリしてくると、努力する苦労に前向きな気持ちが増すと考えます。
経験を通して実感を得ると、次への期待が高まりますね。
逆に考えると、期待を裏切られるきっかけが重なることは報われる予感が減少していくということになりますね。
頑張っても報われないことはたくさんあると思います。
人には向き不向き・得意不得意がどうしてもありますよね。
自分の適性に合わないことを理想に持ってしまうと苦しくなるかもしれませんね。
理想と現実にギャップがあるとしても、自分の持ち味はいつも自分の中にある!と考えるとまだまだ諦めないで済むと考えます。
簡単に具体例をあげるならば、
理想⇒勉強が得意
現実⇒学習に苦労がある
こう仮定したとき、なぜ苦しくなるのか想像してみます。
勉強が得意な人に学習をサクッと簡単にこなせるイメージがあるかもしれません。
そうすると自分の学習速度に焦りを感じるかもしれませんね。
でも勉強を得意でなければならない理由はあるのでしょうか?
時間をかけて自分なりの努力の積み重ねの中で得るものもあるでしょう。
理想の先に漠然とした大きな羨望が隠れているかもしれませんね。
その羨望が現実にあるかどうかは別であるにもかかわらず。
なんとなく理想が叶えば幸せが自動的に手に入るような気がしたりするものですよね。
そういうわけじゃない気もしますが。
つまり理想に届かなくても、幸せから遠ざかるわけでもないと思います。
期待する想いが自分の背中を押し、たくさんの経験に導いてくれると思います。
期待する気持ちは大切だと思います。
期待を裏切られたと感じても、自分の本当の願いを見失わなければ工夫しながら何度でも頑張れます。
こちらの文章を書きながら、どうせ頑張るならば自分の想いに素直に生きたいものだと改めて感じました。
いろいろ不安の絶えない世の中ではありますが、小さい希望をたくさん見つけてせっかくの人生を楽しめたなら素敵だなあと思います。
落ち込むことも多いですが、希望を見出せるような発想を続けたいです。
少しでも意味のあるものを書けるよう頑張りたいです。
よろしくお願いいたします。